株式会社うちゅう創業から、シリコンバレーでの創業を志すまでの2年間をまとめました。
株式会社うちゅう創業からDMMアカデミー卒業を通じて、シリコンバレーでの創業を志すまでの、2年間をまとめました。
自分自身にとっては一つの節目となる大きなご報告であり、自分自身が葛藤してきた経験をまとめて書き残しておくことで、自分自身の決意とご報告をしたいと思っています。
2年前,僕は現在の共同創業者である大谷と出会い、宇宙教育で起業することを決めました。
その時は、まだ稼いだ経験も全くない状態の中で、1回500円で授業をすることをしていました。最初のお客さんは1組だけでした。
ただ、その1組が嬉しくて、続けているような感覚でした。その時は交通費往復の方が高かったので、教室を実施するだけで赤字な状態でした。その中で、好きなことを仕事にしていくために懸命に働いていました。
その結果、少人数ですが、教室を開くことができるようになって、MakersUniversity時代にメンターとして出会った恩師の丸幸弘さん・藤田大吾さんのご好意から飯田橋のリバネス内のSpaceLabで宇宙教室を開くことができるようになりました。
これがなかったら今の教室はなかったと思います。
毎週末に重い荷物をもって、必死で実施をしていました。
その頃から、仕事も少しづついただけるようになって、なんとか会社をやっている状況でした。
12月にはクラウドファンディングを実施して、自分自身のオフィスを町工場が広がる墨田区に持つことができるようになりました。
ここからが本格的な始まりという決意のもと、毎日死ぬほど働き続けました。
ロボット教室や学童での教室実施、ロケットや人工衛星のプロジェクトが始まって、色々な方が宇宙HOUSEに訪れるようになりました。
また、会社を共に経営していくことになる八島と1月に出会いました。
ただ、この辺りから、会社が徐々にパンクをするようになりました。
それは、起業をしてから数多くの事業を回していましたが、会社が成長するどころか、出費も多く、タスク管理ができなくなってしまっていたからでした。
会社自体の手が、回らなくなってきていることは明確でした。
このままではいけない。根本的にCEOとしての自分自身がビジネスを学び直し、稼ぎ方を多く学ばねば、会社をもっと成長させていけないと感じていました。
このとき、堀江貴文さんの投稿でDMMアカデミーという存在を知り、この場所でビジネスの学びを得ることを決意しました。
共同経営者の八島には、墨田区の経営者塾であるフロンティア墨田塾を通じて、ビジネスを学んでもらい、会社を経営してもらうことにして、僕自身はDMMにてビジネスを学ぶことに決めた瞬間でした。
アカデミー入学後から1年間、僕はDMMアカデミーで色々と学びや機会を享受しながら、アカデミー勤務の前後や、土日を通じて授業や経営を行ってきていました。
この1年間でおよそ4回に渡り、シリコンバレーを訪問し、深センにも2回の訪問をしてきました。
シリコンバレーの最初のきっかけをもらったのは5月,DMMの亀山会長からシリコンバレーにいく機会をもらったことです。
もともと、僕自身はシリコンバレーに漠然とした憧れを感じていて、シリコンバレーに訪問してみたいという気持ちはあるものの、まだ自分自身の会社の売り上げも目処がついていない状況で、足を踏み出すことができないままでいました。
まだ何もない僕にチャンスを与えてもらった亀山会長には、感謝し尽くせないです。
シリコンバレーを1度訪問したことで、僕自身はシリコンバレーに滞在している様々な方々に出会い、こちらの素晴らしさを改めて体感した経験となりました。
この時、僕はこの地で成功したいと本気で思うようになりました。
問題はどのようにして、こちらで成功をしていくのかという戦略でした。
このとき自身の道として、学業に戻り、研究者としてアメリカで成功をするべきなのか、または事業として戦っていくべきなのかという2つの選択が僕を迷わせました。
研究者は中学生からの憧れで、大学から宇宙に関わり始めたのが宇宙の研究を始めたことがきっかけだった僕として、スタンフォードやCaltechのような優秀な大学を目指し、宇宙の研究者となることに、非常に強い思いを持っていました。
5月にはNASAの研究所であるJPLの小野雅裕さんや高橋優さん、9月にはNASA Ames Reserch Centerの藤島 皓介と話す中で、宇宙分野の研究者として進む道に感化され、僕自身は最初研究者として改めて学校に戻るべきだという道を考えました。
ただ、僕自身は世界を巻き込む会社を作りたい。と様々な起業家を見る中で感じており、アメリカで事業を通して大きな結果を残すことも捨てきれずにいました。
どちらの道の魅力的で両者の道を選択することに迷っているなかで、9月のシリコンバレー訪問の際に、渡航直前のゼミで丸幸弘さん、そして丸さんにご紹介をいただいた弁護士の吉田大さんに、厳しく指摘を受けました。
本気で熱を持ち続けられることを一つに絞ることをした方がいい。
ここで成功していくためには一つに絞ることが重要だと言われました。
今まで色々なことに手を出して、経験を積んできたけれども、結果は何一つ出せていなかったからです。
2回目のシリコンバレーを3週間ほど過ごす中で、僕は自身が昔から変わっていないことに気づきました。
それは、小さい頃から宇宙に魅了されながらも教育格差と途上国格差の問題を解決したいと主張し続けていたことでした。
これは本心からやりたいことで、起業する前から変わってないことでした。
そう考えると僕が最もやるべきことは研究者として成功することではなく、起業で成功することは明確でした。
この辺りから僕は事業を通じて、シリコンバレーで成功することに決めました。
帰国後、六本木のアワバーで、たくさんの人にいただいた言葉が今の自分自身の方向性を明確にさせていき、DMMアカデミーも早期卒業して、事業に集中することに決めました。
いままで多くの機会をもらい続け、学び続けていましたが、大きな結果を示せていない現状と、様々な機会をいただき続けることが多い中で、このままの状態を続けても何も生み出せない、もっと結果を出したいと感じていたためでした。
僕自身の決意として、結果を出すことが最も重要で、それが達成できなければ、ただの自己満足でしかないと思い、結果を出すことに専念しました。
特に顕著になったのは、FBで報告を内容で基本的に心情よりも結果の投稿が多くなっていたことです。
報告をすることは期待をしていただいている人への感謝を述べることができる場所であると思っている反面で、結果を出してもいない中で、FBを更新することが自分自身が納得できませんでした。しかし、FB上でコメントをしてくださる方や、応援していただいていることはとても支えになりましたし、結果を出し続けることでその期待に応えられるように、少しづつ、売上を上げることをしていきました。
僕が途上国格差をなくすために選んだ産業は農業でした。
農業は今後、最も成長産業であり、食糧問題が必然的に起こる状況の中で、衛星データの活用とブロックチェーンの活用が、途上国格差を解消し、継続的なビジネスとすることができると確信したからです。
教育と農業どちらもボランタリーではなく、しっかりと結果を出すことが必要な中で、成果を出すことができないことが苦しくて、必死で、もがき続けた2年間でした。
共同創業者である大谷はもとより、途中からジョインしてくれた八島にも感謝し尽くせず、彼らと仕事ができたおかげで少しづつ、株式会社うちゅうは歯車が回るようになってきました。もがき続けること中で、少しずつ教育業が仕事になり始め、結果として今年の4月から単月黒字化をようやく達成できるようになりました。
親もとを離れて、東京で1年と3ヶ月、親から一切仕送りをもらわず、自分一人で食っていけるようになることが最も大変でしたが、これからもっと挑戦ができると思っています。ようやく自分自身がシリコンバレーで起業をし、成功をしたいという決意が固まりました。
こうして、シリコンバレーでの創業を目指すようになりました。
3回目のシリコンバレーは経済産業省の飛躍NextEnterpriseで最年少として参加させていただいたことでした。
そして4回目の今、実際にシリコンバレーで戦っている人から、様々なご指導を受け、こうして、今2年間の報告を書いています。
株式会社うちゅうのCEOとして教育業はこれからもっと大きくしていく中で、自分自身は週2回の頻度で経営者及び教育者として関わり、新しい農業事業に週5日を注ぎます。
シリコンバレーで創業するのは農業分野の方でSAgriという事業です。
最終的に7年間でM&AでのEXITを目標に、シリコンバレーでの創業をします。
VISAの問題も過去4回の訪問の中で、ようやく解決ができました。
あとは愚直に実践するのみです。
今は丹波市との事業提携から丹波市にオフィスを構えて実践しています。
4月1日、3月末日でのDMMアカデミー卒業と農業事業を始めることに加え、タイの農業を視察しにいく権限をみなさんの投票のおかげでタイ国政府観光庁からいただいたことから、サンフランシスコの海上で坊主にしました。(初めての坊主です。)
みなさんの目で見てわかる形での決意だと思ってください。
シリコンバレーで、いつも可愛がってもらっている赤木さん、南さん、水山さんには感謝し尽くせません。
いままで信じ続けてきてくれた人、助けてくれた人がたくさんいて、その人たちに支えてもらった2年間でした。
これから会社を大きくして、結果を出し続けて行きます。
シリコンバレーでの成功を現実にできるようにします。
THE ONLY WAY TO DO IT IS TO DO IT. (by Stanfrod university d school)